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【KOEOTO】本田保則

─新しい音響制作会社が次々に誕生しています。次の世代の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

会社を立ち上げられて一番大事なのは、我々の仕事というものを世間に理解されないといけないだろうということですね。我々の仕事というのは、一種の請負業です。そうするとやはりどうしても業界の色々な連鎖の中でやっていくことになります。ウチはいいんですと言っていたら、せっかくのビジネスチャンスもなくなるし、後輩の諸君なんかは育ちにくいじゃないですか。企業としてちゃんと社会的に認知されていますよというところからスタートした方がいいと思います。
僕にも本当は後進の人を育てなければいけないという役割もあったと思うんです。しかし能力的に及ばなかったのか、自分の“本田保則”という名前だけが先行してしまってですね、僕の所で頑張っている諸君にチャンスというものを渡していけなかった時期があるのかなと。これは僕の反省なんですけど。

それと、我々の業界というものが時代と共に大きくなっていく中で、今や当たり前になっている業界のコンプライアンスをちゃんとしていかなければならないと思うんです。はじめは放送にほとんど特化した業界だったけれど、様々なメディアに広がっているという流れがありますよね。その状況の中で、僕は音声連に加盟していて良かったなと思っています。毎月理事や委員の皆さんが集まられて情報を共有しながら業界全体ということを考えていく。連携をとったり、あるいはそれぞれの特色を出しつつ、この業界で生き残っていかなければならないわけです。その生き残りのためには業界全体で未来について考えていくことも必要だということですね。
僕のような一介の現場出身者であれ、大きな制作会社から独立された方であれ、同じ基盤の元でお互いが情報交換しあっていける。そして共通のルール(団体協約)を遵守しながらやっていくということがね、足かせでもなんでもなくて、とても重要なことだと僕は思っています。


❖吉田竜夫さんとの出会い

─ここで改めて、音響監督になったきっかけをお教えください。

学生時代から地元の富山で、NHK放送劇団のプロデューサーの助手をしたり、大学の劇団で演出をしたりしていました。大学を卒業して郷里を飛び出して、東京に出てきました。僕は今でも我ながらどうしようもないやつだったと思っているのですけど、就職もせずに東京の劇団に入ったんですね。島宇志夫という人が主宰していた『劇団造形』。そこの看板スターが、この世界でも活躍されてる堀勝之祐さんでした。彼と今現場でいっしょになって当時の話をしても、「あんた、いたのかぁ」と言われる、その程度の存在でしたけど。演出助手って、簡単に言えば使いっ走りですよ。劇団から給料が出るなんてことはありませんし、公演があるとなるとそれだけに拘束されますから、その間の生活費も自分で持たなければいけないのでアルバイトをしていました。
新橋の『重役室』という名前の喫茶店でした。そこのマスターはね、客が来ないなと思うと「ちょっと行ってくるから」と出て行って、ほとんど帰ってこないんです。すぐ近くに馬券売場があったんですね。僕なんかコーヒーの入れ方も何もわからないんですけど、見よう見まねでお客さんの注文に応えてました。

その店に毎週必ず来てくれたのが、今のタツノコプロ、当時の竜の子プロダクション創立者の吉田竜夫さんという漫画家だったんです。近くの塩釜公園のところに朝日録音というスタジオがありまして、そこで日本で何本目かのTVアニメーション『宇宙エース』という作品のアフレコが開始されていました。僕はまったく興味も何も無くて、これが漫画映画か、という程度でしたけどね。その吉田竜夫さんに、「芝居は金にならんだろう」と言われて。「そうなんです、金にならないんです。だからアルバイトをしているんです」と答えたら、「だったらうちへ来ないか」と誘われたんです。毎月ある程度のものは出すよと言ってくださってね。これでもうアルバイトしなくていいんだと思うと同時に「これで俺は芝居の世界から遠のいてしまうんだな」とか、いろんな事を考えました。

こうして初めて就職したのがタツノコプロなんです。昭和41年…1966年の11月のことでした。ただその後、この仕事が実際に身に付くまでは大変で、これなら小さな劇団にアルバイトしながらでもいた方が良かったんじゃないか、と思った事もありましたね。
僕がタツノコで最初にアシスタントについたのが『マッハGoGoGo』という作品で、これが日本で初めてのカラーアニメーション作品です。その後も『おらぁグズラだど』とかいろいろな作品の音声・音響を制作しましたけど、『みなしごハッチ』かな、『紅三四郎』かな、その頃にタツノコを出たんです。5年ちょっといたことになるんですよね。

その後、フリーで何年かやって、それからアーツ・プロを作るんですけど、この会社を作ることになったのも、吉田竜夫さんがきっかけをくださったんです。「仕事を出したくても個人じゃどうしようもないんだよ」と言われました。当時はオムニバスプロモーションさんが読売広告社を通じてタツノコさんの音響制作をずっとおやりになっていたんですけれど、「次の作品を外部に」となった時に、吉田さんが僕のことを憶えていてくれましてね。「とにかく会社を作れ。お前ひとりの会社でもいいから」ということで、アーツ・プロを設立しました。アーツ・プロ最初の受注はタツノコさんの『破裏拳ポリマー』という作品でした。僕のやることが心配だったんでしょう、必ずスタジオへ来てくれていました。

吉田竜夫さんは45歳で亡くなりました。ものすごく若いんですよね。アーツ・プロを立ち上げて1〜2年後ですかね。とてもとてもショックでした。『宇宙の騎士テッカマン』という作品をやっていた時でした。訃報を聞いて、もう飛んで行きました。その1週間前に僕はお見舞いに行っているんです。なけなしのお金でメロンを買っていったんですが「貧乏なやつがそんなことするな。持って帰れ」って言われました。持って帰ってもしかたなかったんですけどね。僕の会社のことを最期まで心配してくれていました。

パッケージ
左から『ハクション大魔王』DVD-BOX 7枚組全104話完全収録 ⓒタツノコプロ
   『宇宙の騎士テッカマン』DVD-BOX 5枚組全26話完全収録 ⓒタツノコプロ
   『破裏拳ポリマー』DVD-BOX 5枚組全26話完全収録 ⓒタツノコプロ
PROFILE
本田保則 本田保則
(ほんだ やすのり)

1943年 富山県生まれ。 音響監督。 当連盟名誉会員。 富山大学(経済学部)卒業後、演出家を志して上京。 「劇団造形」に入団。 1966年 株式会社竜の子プロダクション入社。アニメーションの音響制作に従事する。フリーランスを経て1974年 株式会社アーツ・プロを設立。 以後、音響監督として数多くのアニメーションを手掛ける。2014年株式会社アーツ・プロをご自身の判断で解散。フリーランスとして音響監督を継続。

○主な作品○
【アニメーション】
『金田一少年の事件簿R』『テレビまんが 昭和物語』『蒼天航路』『遙かなる時空の中で』『MONSTER』 『花田少年史』『MASTERキートン』『天地無用!』『ちびまる子ちゃん』『超時空要塞マクロス』『宇宙の騎士テッカマン』『破裏拳ポリマー』
○執筆○
『声優の教科書―基礎編からプロでも役立つ実践編まで』(ソニーマガジンズ2000年)

【KOEOTO】バックナンバー

Vol.04_田中英行
Vol.03_本田保典
Vol.02_戸田奈津子
Vol.01_山寺宏一

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