番町スタジオ

安井治兵衛氏安井治兵衛氏が東京都千代田区二番町にあった自邸内の遊休地(焼け跡)に建設した日本最初の放送録音用貸しスタジオ。1951(昭和26)年11月30日落成、12月1日から録音が開始された。総建築面積65坪、スタジオ30坪で、スタジオ内面積は15人くらいの構成の音楽が録音できる大きさが想定された。
当初は民放ラジオ各社からの仕事が主だったが、1954(昭和29年)頃からテレビの吹替え録音スタジオに特化し拡大していく。
安井氏が日本テレビ技術局のほうから「漫画映画で日本語をしゃべらせたい」と相談されたのは1955(昭和30)年11月中旬。このあと安井氏のさまざまな試行錯誤により録音方式吹替え番組の第1号、『テレビ坊やの冒険』が世に送り出される。以降、番町スタジオでは次々と吹替え番組の制作を行うようになる。1943年頃、新宿区南元町に移転。
「アテレコ発祥の地」と言われる番町スタジオには、当時を知る制作スタッフや出演者から、さまざまなエピソードを聞くことができる。

防音設備なし

番町スタジオ調整室元々の番町スタジオというのはお屋敷だったんです。 普通のお屋敷を改築したんです。旅館みたいな感じで、平屋のずーっと長い日本家屋でした。入口のところに食堂があって、奥に一番大きなスタジオがありました。そこで音楽を録ったり、大きなアフレコをやっていました。
元々がスタジオではないので防音設備などもなく、飛行機が飛んでくると一時中断したものです。
隣にもお屋敷があって犬を飼っていたのですが、この犬がすごく吠えるんです。収録のさまたげになるから何とかしないと、ということで、調整卓の本番のキーを上げると、犬小屋に向かって、人間には聴こえない高音を出すスピーカーを向けるようにしました。今なら動物虐待で訴えられるでしょうね。
このキーをうっかりそのままにして帰ると、次の日にミキサーが怒られていましたね。

酷暑とダルマストーブ

ダルマストーブ当時としては先進性のあった番町スタジオだったが、夏の盛りともなると電気機器から発生する熱気もあって、室内の温度は昼夜ともに耐え難くなる。スタッフは上半身裸になって暑さと闘っていた。番町スタジオに冷房が入ったのは1956年夏、それまでは文字どおり汗まみれで仕事をしていた。
一方冬場の暖房は、まだ石炭を燃やすストーブが活躍していて、ブースの中に鎮座したダルマストーブが室内を暖めていた。出演者やスタッフは収録の合間にはストーブを囲んで雑談に花を咲かせ、独特の高揚感の中で創造的な話題が飛び交っていた。若い出演者たちはそうした時間の中から役者人生にとってかけがえのないものを得たという。

元祖・声優ブーム?!

1966年から放送され人気を博したスパイ・ドラマ『0011ナポレオン・ソロ』の吹替えも番町スタジオでおこなわれていた。ドラマの人気が高まるとともに、出演者である矢島正明さん、野沢那智さんを一目見ようと、毎週日曜のアフレコの日には日本全国からファンが殺到。番町スタジオでも調整室を開放し、1ロールごとに10名ぐらいずつアフレコ見学を許可するという粋な(!)はからいをしていたそうだ。中には、お弁当を持って毎週皆勤賞の女子高生もいたとか。元祖・音響制作スタジオは、元祖・声優ブームの舞台でもあった。

【音響監督】田中英行さん  

ページの先頭へ