映画字幕翻訳家 戸田 奈津子(とだ なつこ) さん

戸田奈津子さん

プロフィール

東京都出身。津田塾女子大学卒業後、保険会社のOLや通訳のアルバイトをしながら字幕翻訳家への道を志し、故清水俊二氏に師事。
1970年『野生の少年』で初の映画字幕を手がける。1980年、フランシス・フォード・コッポラ監督の問題作『地獄の黙示録』を手がけて以降、今日に至るまで映画字幕翻訳の第一線で活躍中。
コッポラ監督をはじめ海外の映画人からの信望も厚く、スターの来日時には通訳を務めるほか、『字幕の中に人生』(白水社)『スターと私の英会話』(集英社)など著作も多数。

今回の【KOEOTO】は映画字幕翻訳家・戸田奈津子さんの登場です。映画の魅力、翻訳という仕事についてたっぷり語っていただきました。「字幕」と「吹替え」、全く違う手法に見えますが、その真髄は意外にも…

転機となったコッポラ監督との出会い

字幕翻訳家になられた経緯を伺えますか?

子供の頃から映画が好きで、いつかは映画関係の仕事に就きたいと漠然と考えていました。大学で英語を勉強するうち、「字幕翻訳」という職業を志すようになるのですが、そう簡単な道ではありません。結局、学生課の紹介で大手保険会社の社長秘書として就職しましたが、組織の中で規則に縛られて働くのは全く性に合わず、一年半で退職。幸いにもユナイト映画でのアルバイトを紹介していただき、そこであれこれ雑用をしているうちに、キャンペーンで来日した監督や俳優の通訳を頼まれるようになります。そんな中で、私の「字幕翻訳をやりたい!」というアピールに目を留めてくださる機会がぼちぼち出てきたようで、年に数本は字幕翻訳のお声をかけていただけるようになります。とはいえ、とても食べていけるようなものではなく、相変わらず通訳や翻訳のアルバイトに精を出す日々でした。そんなある日、『地獄の黙示録』と出会います。

最初は、撮影中に度々日本を訪れていたフランシス・フォード・コッポラ監督をショッピングや食事に案内するガイド兼通訳、という立場でした。初対面の印象は「熊みたいなオジサンだなあ」と。大きな手で握手されたのを覚えています。それがやがて撮影現場へ同行するようになり、マニラのロケ現場やサンフランシスコの監督の私邸にもお邪魔できたのは本当に得がたい経験でした。やがて映画が完成し、さあ公開となったときに、私に字幕をという話が舞い込んできたのです。どうして新人にこんな大作をやらせてくれるんだろう、と驚きましたが、それがコッポラ監督の推薦であったことは後から知りました。スピルバーグやルーカスを育てたコッポラ氏は、あらゆる分野の新人たちに数えきれないほどサクセスの機会を与えてきた度量の大きな人です。私も、その視野の隅っこに引っ掛かった一人だったのでしょう。もっともコッポラ氏自身は、とうの昔に忘れてらっしゃると思いますが。

以来、本当にたくさんの映画と出会ってきました。どれも思い出深い作品ですが、個人的には心を打つような人間ドラマや、文芸作品が好きですね。そういった作品は翻訳も難しいでしょう、と時々聞かれますが、むしろ逆で、内容が難しいから翻訳も難しいとは限りません。むしろ筋立ては単純でも辻褄の合っていない作品のほうが大変です。やはりシナリオの段階でどれだけ完成されているか、ですね。『地獄の黙示録』も最初は哲学的で難解に見えましたが、何度も観るうちに自ずと内容も理解できました。よいシナリオには無駄な台詞がありません。でも字幕翻訳はそれをさらに縮めなければならないので、まさに身を切られる思いです。

字幕の苦労、吹替えの苦労

以前に吹替え翻訳も手がけられていますが、字幕との違いは何でしょう?

専門は字幕翻訳ですが、『E.T.』では吹替えの翻訳もやらせていただきました。やはり字幕とは訳し方のコツが違って苦労した記憶があります。吹替えは字幕より情報量が多い反面、口の動きに合わせなければいけないので。でも勘所を押さえて的確に訳さなければいけないのは、吹替えでも字幕でも同じですね。ただ吹替え版は、演じる声優さんの演技でニュアンスを出せますが、字幕はそれができません。話し言葉であるオリジナルの台詞を短くまとめるのが、字幕翻訳の難しいところです。

近年は映画興行のサイクルが早くなって、その点では大変です。最近手がけた『バトルシップ』も、本国より日本のほうが先に公開されるという異例のケースでした。特にこうしたCG満載の作品は仕上げに時間がかかるので、完成品の映像がなかなか届かず、訳すほうも冷や汗をかきます。昔は『スター・ウォーズ』の日本公開が本国の一年後だったりして、余裕がありましたね。でも今はインターネット等で海外の情報が早く入ってくるので、こうしたスケジュールも仕方ないかと思います。ファンの方はやはり早く観たいでしょうから。

専門用語の訳し方にも苦労します。やはり文化が違うので、本国の人にとっては常識のようなことでも、そのまま日本人に伝わるとは限らない。それも時代によってまた変化しますから。例えば『バトルシップ』は海軍が主役なので軍事用語がたくさん出てくるのですが、専門用語をそのまま出してしまったら一般のお客さんには意味不明です。とはいえ全部を簡単な訳にしてしまったら、ミリタリー・ファンには物足りなくなってしまう。そのバランスをどうとるかが大事ですね。最近はインターネットでもそうした言葉を調べられるようになりましたが、私は極力専門家の方に伺うようにしています。特に医学用語など、間違えたら大変ですから。

実は字幕翻訳家も声優さんと同じで、訳しているときは頭の中で自分で演技をしています。その登場人物の気持ちにならないと、その人の台詞は訳せないので。それも一人一役でなく全員を演じるわけで、これは楽しい作業です。外国映画を観客に伝える上で一番大切なのは、「キャラクターの気持ちになる」ことだと思います。それは字幕版でも吹替え版でも、翻訳者でも声優でも同じです。映画字幕の目的は「お芝居を伝えること」で、決して「英語の勉強」ではありませんから。

映画は人生を豊かにしてくれます

映像翻訳という仕事の難しい点、楽しい点はどこでしょう?

字幕翻訳に限らずクリエイティヴな仕事なら全てそうだと思いますが、過去の自分の仕事には、何であれ直したい箇所はあります。逆にこれで100%だと思ったらおしまいですね。字幕でも吹替えでも、外国映画をローカライズする以上、その作品の制作スタッフの一員というぐらいの心構えで仕事をするべきだと思います。最終的に日本のお客さんは、私たちの作った字幕や吹替えでその作品を評価するわけですから、責任は重大です。

それでも映画に関わる仕事を面白いと思うのは、やはりフィクションの世界で遊べるところですね。宇宙に行ったり地底に潜ったり、あり得ないような体験をして、それをお客さんに伝えられる。先日お会いしたジェームズ・キャメロン監督は、まさにそれを実践されている方でした。『タイタニック 3D』のプロモーションで来日されたときに御一緒したのですが、そのほんの数日前に、彼は単身潜水艇に乗り込んで、一万メートルの深海まで潜っているんです。そうした体験がすべて作品に生かされている。キャメロン監督は本当に凄い方で、何しろ『アバター』という映画を3Dで作ろうと思ったら、そのカメラを開発するところから御自分でやってしまう。これこそ偉業だと思います。

仕事以外でも、映画は極力観るようにしています。最近観た作品では、『マリリン 7日間の恋』はよい映画でした。ケネス・ブラナーが実在した名優ローレンス・オリヴィエを演じていて、顔は全然似ていない彼が本当にオリヴィエに見えてくる。そのお芝居の上手さに感動しました。それと『ヒューゴの不思議な発明』。映画への愛が感じられて。同じ映画好きとして嬉しくなりました。

映画でも小説でも、よい物語は観る人の人生を豊かにしてくれます。特に若いうちに映画を観る習慣をつけておくと、その後の人生が実り多いものになります。同じ作品でも、自分の年代によって見方が変わることもありますし。私も学生時代に『天井桟敷の人々』を観たときはあまり面白いと思えなかったのですが、後年再見したときに素晴らしさが分かりました。たくさん映画を観て本を読んで、良い日本語に触れることで人生を学べます。一人でも多くの方が、その素敵な経験が出来るようにすること。それが字幕や吹替えに携わる、私たちの使命だと思います。

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